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Interview「代表が語る」


起業家インタビュー第10回 ドゥルーリー 和枝氏 [1/3ページ]

ドゥルーリー和枝 (Kazue Drury) 氏
Chartered Financial Planner
at Lighthouse Financial Initiatives Ltd
ファイナンシャルアドバイザー

 

 

 

自己紹介によるプロフィール

大学卒業まで東京、その後、英国>日本>香港>日本でお仕事をし2000年に英国に戻ってきました。長年外資系投資銀行にて主に債券のディーリングをしていましたが、2003年にファイナンシャルアドバイザーに転向&起業。理由はもう少し‘人の為’になるお仕事がしたかったから。
プライベートとビジネスがきっちり分けれれる英国は住み心地がいいです。余暇にはPCを見ないのが原則。趣味のテニスは試合に出る位まじめにプレイしてます。海が大好きでホリデーはもっぱら海辺で美味しいランチとワイン、たまにヨットにも乗ります。



中江:よろしくお願いいたします。簡単にファイナンシャルアドバイザーの業務について簡単に教えてください。

和枝さん:個人のファイナンシャルプラニング全般と、企業の社員福利厚生制度のアドバイザーをしています。前者は資産運用、タックスプラニング、保険、年金など、後者は社員や役人向け年金や保険など。それぞれ助言・代理人としての取引遂行、取引後の継続的な助言・代理人業務をしています。

中江:イギリスにいらっしゃったきっかけをお伺い出来ればと思います。

和枝さん:1990年代これからは金融だなと思ったんですが、いきなり日本の金融機関に入るよりももう少し英語も勉強したいと思いまして、東京の大学を卒業後、1989年にイギリスの大学で金融を勉強し始めました。

その当時は日本バブル絶頂期―日経平均株価が4万円近く、株式時価総額で世界トップ10の銀行はすべて邦銀だったんですよ!教授から、日本の銀行が人材を探しているので受けてみないかという打診があり2つの大手金融機関から採用のお話があったんですね。それで、旧三和銀行のディーリングルームに就職、金融界入りのきっかけとなりました。勉強の方は夜間通学に変えて続けました。

ただその後ずっとロンドンで勤務していても現地採用ですし、飛躍ができる仕事にはならないかなと考えまして一度日本に戻りJPモルガンに為替オプションのトレーダーとして採用していただきました。そして3年間勤務後、JPモルガンの香港に機関投資家向け債券営業として派遣されました。 金融機関は転職が多いんです。私も香港滞在中にゴールドマンサックスに転職したんですが、その後、INGバンクから日本の債券部長のポストのお話しを頂き、日本へ。夫がイギリス人でして、最終的に2000年にイギリスに戻って来たという流れです。

中江:そのときに今の仕事をはじめられたのですか?

和枝さん:戻ってきたときは、HSBCでやはり債券のディーリングをしていたんですけども、もう少し何か人の為になるようなようなお仕事がしたいと前々から思っていまして、ファイナンシャルアドバイザーの仕事の試験を受け合格、2003年にHSBCを退職し今のファイナンシャルアドバイザーという職業に転向して起業を始めました。

中江:ホームページ見させて頂くと日本人唯一のCFPという事ですね。その職種を選ばれた理由を教えて下さいますか?

和枝さん:金融でお仕事をしている時にすごく思ったのは個人の方々が割と貧乏くじ引いてるって感じがするんです。金融機関に搾取されているような、特に日本で。知識が少ない一番弱い立場の個人のお客様を守らないとと思ったんです。きちんとでもシンプルに金融商品を説明できて、お客様のファイナンスを改善できるお仕事は投資銀行のディーリング業務よりはるかに魅力がありました。既に日本にいるときFPの資格も取得していましたし。英国でもでも同様の試験を受けて、今に至っている感じです。

企業向け福利厚生のアドバイスも同様です。在英日本企業の管理職は駐在員の方が多いのでこちらの制度に慣れてない方が多いです。英国の福利厚生制度を一からご説明してベストのソルーションを提案、制度設定だけではなく社員の定着率向上や士気高揚にも役立つ厚生制度のアドバイスはとてもやりがいがあります。