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Interview「代表が語る」


起業家インタビュー第8回 原田 豊氏 [1/3ページ]

原田 豊 (Yutaka Harada) 氏
Japan Europe Business Support Ltd.社長

 

 

 

自己紹介によるプロフィール

産地は長州。高校まで山口県、高校卒業とともに上京、以来東京在住。1965年大学卒業後、鉄鋼メーカーに入社。同社のヨーロッパ拠点のトップとして1991年来英。1995年30年勤務した同社を退職し、英国にて起業。日欧ビジネスの架け橋を目指しビジネス・マッチメーキングのコンサルタントとして活躍。
1998年よりジェトロの対日投資アドバイザーとして週3日ジェトロ・ロンドンに勤務。日本進出に興味のある英国企業の発掘と、スムーズに日本拠点がスタート出来るようコンサルテーションを実施し、適切なアドバイスを提供。
余暇のパスタイムはミュージカルの鑑賞とペットの犬と一緒にウィンブルドン・コモンを散歩すること。週末にはワイフと近所に住む一人娘と一緒に美味しいワインを楽しむ。



松尾:英国へは最初は駐在でいらっしゃった?

原田:そうなんです。企業の派遣なんです。今はないんですけど日本鋼管(NKK) といいます。今JFEといって業界2番目のNKKと3番目の川崎製鉄が一緒になって出来た会社です。

松尾:英国にいらしたのは何年ぐらいでしたか?

原田:91年でした。

松尾:そしたら、91年からどのくらいまでこの仕事をやられていたのですか?

原田:95年までです。

松尾:いったん日本に帰られたんですか?

原田:95年に任期が終わって帰ってこいと言われたんです。帰り先についてちょっと揉め事があって人事と。それでじゃあ辞めますと啖呵を切ってしまいました。

松尾:じゃあ、30年くらいお勤めしたんですか?

原田:30年です。結局辞めますといったのはいいけれどどうしようということで、まあいろんな選択肢があったんですよ。ひとつはイギリスに来る前に出張ベースで、メキシコに通算3年近く出たり入ったりしていましたので生活もしやすいし、メキシコに行って起業しようという考えがありました。しかし、ワイフに猛反対されました。せっかく英語がしゃべれるようになって、まあ生活できるようになったのに、これからまたスペイン語をやるのはしんどいと。

松尾:原田さんはもうスペイン語ぺらぺらなんですね。

原田:ぺらぺらではないですけど生活には困らない程度。友達もいましたんでね、会社作るんだったら一緒にメキシコにって。

松尾:選択肢1がそれですね。2はなんですか?

原田:2はロンドン。日本人5人、イギリス人5人に聞いたんですよ、会社辞めちゃったんだけどどうしたらいい?って。日本人5人は全員日本に帰ったほうがよいと。大会社だし、しがみついていれば食べるのに困らないからと。会社には辞めますっていったけど、謝りというか断りとか入れてしがみついたほうがいいというのが日本人の意見。子会社くらい世話してもらってという。

松尾:で、英人は?

原田:英人はみんなそれはいい考えだと、ここに残れと。それで弁護士の友達がいたんですけど、会社は俺が作ってやると。この国はご存知のように会社作るの簡単ですから本当に作ってくれて。お前の会社作ったからっていわれたんですけど、中身がないんで何しようかと。あと、PR会社の友達がいて、PRの人は自分でその、こういう男がいて、NKKという会社で働いていたんだけど、こちらで会社始めたんで付き合ってやってくれっていう趣旨の宣伝文句をPR業界誌にのっけてくれたりしました。

松尾:で、そのときの社名がJapan Europe Business Supportなんですか?

原田:そう、それは私が必死に考えた名前なんですよ。それでたまたまね、頼んだ覚えはないんだけど、私の誕生日が登録日になってまして。Company’s Houseから、設立を受け付けましたという設立日は、9月12日私の誕生日という感じです。

松尾:しかし最初は心配でしたでしょ?

原田:もちろんいろいろ考えました、何をしようと。日本の企業でこちらに派遣できないけどもなんかその窓口をおきたいという、駐在事務所代行ということをやろうと。何をやろうとしたかというと、日本に商工会議所って500くらいあるんですよ。そこに手紙を書いたんです。ところが日本は、どこの馬の骨か分からない人は相手にされない。それで返事が来たのは2つだけ。ひとつは京都、京都は結構そういう企業に対して理解がある。面白そうだから会報にのっけたので、コンタクトがあるかもしれないと。結局なかった。もうひとつは川崎市。川崎市は元の会社の先輩が商工会議所の副会頭をやっていて、こいつかと覚えていてくれて。時期が早かったんでしょうね。その頃って95年頃ですから。今はすごい面白いビジネスになると思いますよ。あとで何社か頼まれてやったんですよ、2-3社。

松尾:業務内容として、駐在代行ですよね。ほかにもいろいろ考えてた?

原田:あとは、イギリスの商品を日本に紹介したり、自分で商品を担いで売り歩くんじゃなくて、そういう売り先を見つけるっていう、まあ、コンサルティングみたいな仕事をやって、いろいろあったんですけど。

松尾:まあ、ご苦労なさったんでしょうね。

原田:面白いビジネスがあったんですよ。鍵をね、こっちの人って鍵をいっぱい持っているじゃないですか、それを登録してコンピューター管理してやろうというプロジェクトを始めた男がいてそれを手伝ってほしいっていう。それでみんなでやろうと。役割も決まっていて、お前には年俸いくらっていうところまで決まっていて。

松尾:新会社、新ビジネスを一緒にやろうとしたんですね。

原田:私はお金は全く出していなかったけど、ある時その人が突然消えちゃったんですよね。営業をずいぶんやりましたけどね。結構皆さん会ってくれて、銀行だったり、ITだったり、結構話は聞いてもらった。