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Interview「代表が語る」


起業家インタビュー第7回 佐野圭作氏 [1/2ページ]

佐野 圭作 (Keisaku Sano) 氏
Japan England Insurance Brokers Ltd
(1986年起業)
現在同社グループ会長

 

 

撮影日・場所:2013年9月18日



飯塚:本日はご多忙のところ、起業部会のホームぺ―ジのインタビュー欄ご登場の為にお時間を割いていただきまして有難うございます。相変わらずお元気そうな佐野さんにお会いでき嬉しく思います。 佐野さんは現在70歳という事で、個人としての人生、ビジネスの長いご経験からくる興味深いお話は沢山あると思いますが、 本日はその幾つかを取り上げお聞かせ頂きたいと思います。 順として、少年時代のこと、企業社会でのこと、ロンドンで起業したときのこと、ロンドンの日本人社会でのご活動、そして今後の夢などをお聞きしたく思います。
まず最初に、佐野さんはどのような少年時代を過ごされてきたのででしょうか?

佐野:私は栃木県の足利市の生まれ、家業は私が中学生まで代々ビジネスをしておりその当時は繊維産業で生糸から布を製造している家庭でした。今から思えば裕福な事業者の家庭で育ったと思います。ところが、ビジネスが大きな景気変動で倒産、高校生になった時は、一転、経済的には恵まれない状況になってしまいました。あの頃の県立高校の授業料はたしか月に600円だったと思いますが、これも自分のアルバイトで賄ったと申し上げたらご想像 いただけるのかと思います。

飯塚:そうでしたか、晴天の霹靂といった人生の大転換が多感な年頃の佐野圭作青年に降りかかった、、

佐野:今からその当時のことを振り返れば、まさしくその状況が私を試した時代であったとも言えます。個人の生活環境が一転した中では、私の外環境も大きく変ります。具体的なことはさておき、ここから学んだことは、人を大事にすること、嘘はつかない、物事に当たるときには真剣に、当たり前のことばかりですが、私の人生の座表軸を形作ってくれた時代だったとおもいます。

飯塚:人の未来、明日のことは誰にも分からない。いま私の前でお話し頂いている佐野さんは、このことが起きなければ、違った佐野さんであったのですね。 大変なことが起きていい訳が無いのですが、人の人生には様々な試練が立ちふさがる一つの例ですね。 さて時計をを大きく進めさせて頂きます。ロンドンとは最初どのような関わりがあったのでしょうか?

佐野:私は日本では損害保険会社で昔風な表現ですが滅私奉公としてがむしゃらに働いていました。1980年に私が37歳のときにロンドン駐在員として赴任してきたのがきっかけです。ロンドンでは4年間弱、この間の海外生活は新鮮でもあり、日本経済が自信を持って海外進出し始めた時期とも重なり、ビジネスも順調に、駐在員としては恵まれた生活であったと思います。

飯塚:この後、2年後にロンドンで起業されることになったのですが、何があったのか、その一端をお話しいただけますか?そのまま同じ会社で働き続けたとしても、将来は会社の社長の芽もあったのでは!

佐野:先ほど申し上げましたように、生活も仕事も順風満帆であったと思いますが。心の中に何か風が吹き始めていたのですね、英国でビジネスをしていますと自分たちの遂行してきたビジネスに関し、今まで見えなかった、気がつかなかった、ことが見えるようになったと思います。4年の駐在期間の後、日本の本社に戻り、ロンドンに戻るまで2年間、心の中で、「お前は,自分の信念に沿ってやりたいことがあるのでは無いのか?、このままでいいのか」と自問自答が始りました。その繰り返しのなかで機が熟し、ついに、「よし、一度の人生だ、自分の2本足で立ってみよう」と決心し、ロンドンに戻り保険のブロカーの仕事を始めたのです。