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Interview「代表が語る」


起業家インタビュー第5回 浜 哲郎氏 [1/3ページ]

浜 哲郎 (Tetsuro Hama) 氏
JEM Group会長

 

 

 

撮影日・場所:2012年3月 So Restaurant

自己紹介によるプロフィール

1971年海外渡航が自由化されて間もない頃欧州に初渡航。
彼我の文化の違いに、日本に戻って普通に就職することに疑問を抱き此処に残ってビジネスしたいと念じ1973年再渡航しロンドンで起業。ほぼ何をやっても前例が無い中で常にパイオニア的に仕事が出来た事は幸運。何でも自分でやることが独創的と考え極力他人の力やノウハウを借りずに仕事をしてきてその分遠回りもしてきたように思える。
今はリタイアとうそぶきつつもビジネスへの興味は失せないがこれからは自分でやるのではなく、若い人の頑張りを支えて行きたいと思っている。



鶴見:今日は宜しくお願いします。経歴から伺いますが、英国に来られたのは何年ですか?

浜:1971年ですね。仕事を始めたのは1973年です。

鶴見:何故そもそも英国に来られたのですか?

浜:よく聞かれるんですが・・・何でしょうね?日本にはいられなかった(笑)。(真面目顔で)勤めながら日本の大学に通って卒業前に2ヵ月半、一人でブラブラ海外旅行して、その時思ったのはこのまま日本に帰って就職するのはつまらない。どうせなら(海外で)と思って・・・。

鶴見:つまり若い頃から外国で起業してやろうと。

浜:それはあったかも知れませんね。もっとルーツをたどってゆくと私の父は天津で戦前に仕事をしていました。それが敗戦で引き上げてきましてその後苦労して色々な仕事をしていました。アイディアは沢山あったけどどれも成功していません。そんな父の背中を見ながら育ったことが自分の起業につながった、という可能性はありますね。はっきり自覚はしていませんが。

鶴見:なるほど。でもここをこうすれば成功するのにとか思っていました?

浜:いえ、そんな具体的にどうこうはありませんでした。ただ親戚の中で親父だけが柔らかい。起業して何でもやってしまう。他は手堅い人が多かったです。だから“(父は)腰が落ち着かない”と批判されていたのをよく耳にして自分はおかしいな、と感じていました。

鶴見:では何でもやってやろうというのはお父様のDNA?

浜:ええ、多分そうだと思います。その中で何度か危機というのは当然あるもので、そんな時にこれで失敗したら“あの父にしてこの子あり”って言われる。これは悔しい、何とか頑張らなくては、といった調子でやっていました。

鶴見:なるほど、それが頑張りの源ですか。それで英国に出てこられて。

浜:そうですね、ヨーロッパの中で選択肢は幾つかありましが、何カ国かまわってあの当時、今でもそれほど考えは変わっていませんがラテン系の国では仕事は出来ないなと思いましたね(笑)。国民性というか。だからやるならイギリスかドイツと思いました。

鶴見:それは分かります。

浜:で、たまたまイギリスで人の紹介もあってロンドン郊外の、あるホテルの地下が借りられてそこでレストランを始めました。

鶴見:それはまたどうして?

浜:金も無い、コネも無い、英語力も無い中で何が出来るのかと思ったら、その当時日本的サービスがなく、日本レストランも4,5軒しかなかった。その中でカジュアルスタイルはどこもない。これなら出来るかなと思ったのがきっかけです。

鶴見:日本的サービスというと後々までずっと一貫してやってこられましたね?

浜:“一貫して”と言われると弱いんです。割合フラフラしてやってきましたので(笑)。

鶴見:それでも日本の“心が届くサービス”みたいなものがあるのでは?

浜:それはあるかも知れませんね。今でも日本人の顧客サービス、アドミは素晴らしいと思っています。

鶴見:でレストランはうまく行きましたか?

浜:まあ、そこそこですね。その時に思ったのが“レストランはビジネスではない”ということです。

鶴見:エッそれはまた何故?

浜:それはシェフ次第だからです。シェフが代われば全てが変わってしまう。ビジネスとして考えるにはそれは“不安定要素”です。2軒やりましたけど、うんと儲かるというものでもありませんでした。

鶴見:でも後でまたレストランをやることになりましたね、話が飛びますがこれはどうして?

浜:これはちょっとした経緯があります。そもそも当初から(私のような)若造が日本人の板さんを使える訳がないと思っていましたので、友人の紹介でフランス料理学校を出たある青年をスカウトしました。

鶴見:なるほど、若いシェフならなんとか使えると・・・

浜:彼は3,4年ウチのお店で働いたんですが、その後日本に帰って自分のお店をやりました。私も帰るとよくそのお店に行っていました。ところが長引く不況の中で値段が高いフランス料理です。しかも彼は気持ちが入っているので魚河岸で自ら魚を仕入れる、お菓子も自分でやる。素晴らしい人だがそれで儲けることは難しい。

鶴見:そういう人はたまにおられますね。